いい子に育てない

以前の記事で、勉強をしないときに子供を叱ると書きましたが、それ以外はわりと好きにさせています。パパが怒ると怖いというイメージを持っておいてもらうのはいいのですが、一方で、これから大きくなっていくときに、僕の顔色を窺う子供にはなってほしくないと思っているからです。

親が白と言ったら黒でも白とか、親以外の人でも自分の思っていることをちゃんと言えない人間にはなってほしくないと思っています。

そのためと言えるのかどうかわかりませんが(というのも、方法が適切かどうかよくわからないので)、なるべくやんちゃさ、「言うことの聞かなさ」を大事にしたいと思っています。

自分より目上の人の顔色を窺う性格というのは、僕としては非常に好ましくない性格です。もちろん、空気を読める、相手の表情に敏感であるということ自体は、必要な能力です。でもそういったものを読んだ上で、あるいは相手の感情を読み取った上で、それでもあえて思い切って自分の考えを言える、そういう人間であってほしいのです。子供のときのやんちゃさがそういう性格に結びつくのかはよくわかりませんが、まあ多少反抗的なところがあるというのはやはり重要なことだと思っています。ですから、いうことを聞かなくて道端で駄々をこねる息子を見ると、腹が立つというよりも、ちょっと笑ってしまいます。

大学で教員をやっていると、僕が例えば飲み会とか、一緒に食事をしているときに、「これは・・・だ」といったときに、「そうですね、そうですね」という学生よりも、きちんと「いや、僕はこう思いますけど」という学生の方が頼もしく思います。もちろん、反論されて手放しで嬉しいわけではありません。「何を!」と多少はむっとしたりします。ですが、そういうむっとさせる学生は、有能だと思うのです。碌でもない反論はそもそもむっともしないし、すぐに反駁できてしまいますから。

だいたい「いい子」というのは、素直でよく親の言うことを聞く子に使われたりもします。ですが、僕らが「良い」「いい」と判断できるということは、その子供も僕ら、評価する人の価値観の中に収まってしまっているということだとも捉えることができます。やはり、できたらそういう価値観からはみ出してしまうほど力を持った子になってほしいと思いますし、また自分の子供だけでなく、若い人たちが(もちろん、うちのAのような幼児はまだまだそういうレベルではありませんが)、なんでも思ったことが言える社会にしていく必要があると思っています。

もちろん、「なんでも」と書いたのですが、明らかに暴論であるとか、健全的ではない意見もありますし、そういったことを言うことを奨励しているわけではありません。発言する方も、自分の意見がどういう意見なのか、相対化できる能力を養わなければなりません。勉強については叱ってでもさせているのも、そういう力を身につけてほしいからです。

こちらも疲弊しますが、なるべくいい子ではない子に育てていくつもりです。


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