月探し

以前、アスファルトについたひび割れが鬼の仕業だと考えて、それを探し、どんなものか考えるという作業を紹介しましたが、他にもやっていることはあります。その一つは、月を見つけるということです。

外をあるているときに、月を探して、どちらが先に見つけるかということをいつもしています。この勝負を始めてすぐに、Aは夜だけではなく、昼や朝にも月が出ていることを発見し、得意げに報告してきます。また、月の今日の形はどんなのか、そういうことも話します。

僕よりもはるかに目のいいAは月を見つけるのも早いです。この勝負をしてから、月は形がどんどん変わること、そして月が綺麗だということをAは知りました。

本当に綺麗だと思っているのかどうかはもちろんわかりませんが、「パパ、今日もお月さま綺麗やな」といってきます。

自然にはいろんな現象があって、それが綺麗であること、もちろんまだよくわかっていなくても、言葉にすることで逆にそういう感覚を身につけていくのかもしれません。


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もちろん子供は親を選べない

ネットで育児関係のものをちょっと調べていると、子供が親を選ぶ、選ばないの話があるようで、奇妙に思いました。子供が親を選んで生まれてくる、という発想が、ある効果をもつのは理解できますが、明らかにもっともらしくないし、好ましいとも思えないからです。

「子供はあなたを選んでくれたんだから頑張りなさい」とか、「自分を選んでくれたんだからがんばろう」とか、まあそういう効果はあるかもしれませんが、それにしてもこの考えはどうかと思うのです。

もちろん科学主義者ではなくても普通に考えれば、生まれる前に選択する意思なんてのはありえないのですが、この手の考え方をする人には、そういう科学的な思考に訴えてもあまり意味はないでしょう。

僕が一番この考えが好ましくないと思うのは、極めて危険だからです。というのも、この考えは、子供に対するひどい仕打ちを正当化しかねないのです。例えば、子供に対して何をしても、「こんな私(親)を選んだのはお前じゃないか、自業自得だ」と。

しかも自分を選んでくれたから頑張るって、道徳的にどうなんやって思うんです。例えばもう少し大きくなった子供に、「君を選んでくれた人にだけ良いことをしてあげなさい」って教えますか?

さらに子供に「君がパパ(ママ)を選んだんだよ」なんて言えますか?厚かましいっていうか、向こうからしたらそれこそ「はあ?」って感じでしょ。

子供が自分を選んだから頑張るじゃなくて、選べなかったからこそせめてできるだけのことはしようってなるんなるんじゃないでしょうか。選べたらもっといいとこをえらべたのに、僕のとこに生まれてきちゃって。せめてできるだけのことはするわなって。

先ほど書きましたように、もちろん子供が選んでくれたからがんばろうってなるって理屈もわかるんですが、選ばれなかったとしてもいいじゃないですか。出会えたんだから。

(もちろん子供と一緒にいると、いつもこんな綺麗ごとですむことはないですけどね。腹立つこともいっぱいですし。)


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【おもちゃレビュー 1】ウルトラマンのソフビ

僕自身おもちゃが嫌いではないし、わりと経済的に可能なぶんについてはおもちゃに対する投資は大きい方だとは思うので、これまで購入して使って見たおもちゃについてレビューしておきます。

Aは、二歳になった頃から、近所の少し年上の子供の影響で、ウルトラマンが好きになりました。そして、その近所の子供がウルトラマンのおもちゃをたくさん持っていることもあり、自分もウルトラマンのおもちゃを欲しがるようになりました。おもちゃといっても、その中心になるのはソフビです。

ウルトラマンのソフビというと、僕自身の懐かしさがいっぱいなおもちゃです。僕が子供の頃は裕福では全くなかったですが、わずかにウルトラマンとかのソフビを買ってもらったりしていました。小さい借家で、なんとなくウルトラマンのソフビで遊んでいた記憶があります。

またウルトラマン自体、テレビでよく見ていました。息子がウルトラマンが好きになって、ソフビを欲しがり出したとき、わりと抵抗なく買ってやっていたのは、そういった事情もあります。

ソフビといえば、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊モノだと思いますが、今のウルトラマンのソフビは、仮面ライダーのソフビに比べて小さく、その分値段が500円ちょっとです。なので、経済的にも比較的買いやすいです。

Aがテレビで見るウルトラマンは、「ウルトラマンZ」でしたが、知識の幅を増やすために、「ウルトラマン大図鑑デラックス」という本を、本屋で一緒に購入しました。それからというもの、好きなものに対する子供の記憶力は凄まじく、テレビなどでは見たことがないウルトラマンについてもすぐに記憶し、おもちゃ屋さんに行くと、「あ、これ・・・や」「今日は、・・・にする」という感じで、どんどんとその知識量を増やしていきました。

好きなおもちゃとそれにかんする本を一緒にそろえるというのは、文字や本に対する興味も高めるようで、多少なりとも教育的効果があるように思います。また、子供だけではなく、一緒に遊ぶ僕も知識を増やさないといけません。というか、むしろ子供以上に知識については武装するというのを心がけています。なので僕も息子がいないときに、ウルトラマンについてネットで復習したり、図鑑を読んだりもしました。

そしてある程度、数を揃えるようにしました。そうすることで、「ごっこ遊び」も充実しますし、また、今持っているソフビの数を一緒に毎日数えたりして、数を覚える練習をしました。この場合は、圧倒的に遊び感が強いので、むしろAは自分からしょっちゅう「パパ、ウルトラマン数えよう!」といって数を数えたがりました。

しかも基本的に乱暴に扱ってもそうそう壊れることもないし、踏んで怪我をすることもほとんどないので、ウルトラマンが好きな子の場合は、うまく学習にも使いやすいおもちゃだと思いました。

あとウルトラマンのソフビは、必ずしも新品で買う必要もなく、僕の場合、ときどきブックオフや、東寺の弘法市なんかでもやすい中古のものを一緒に選んだりもしました。

まあオススメのおもちゃだと思います。


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子供の将来の職業

小さい頃から子供に教育を受けさせていると、将来何にするつもりなのか、ということを聞かれることがあります。芸術などの特殊な職業タイプは別として、こういう質問者がイメージする一つの職業は医者であることがしばしばあります。

僕が大学に就職する前から、医学部というのは親が子供に行かせたい学部の最大候補で、医学部進学を念頭に置いたコース作りなどを、多くの予備校なども宣伝材料として使ってきました。たしかに、社会的ステータスも高く、仕事にも経済的にも困ることの少ない職業だと思います。

逆に、同じ世代の子供のお母さんが、「うちの子は、電車が好きだから、しょうらい電車の運転手になったらいいと思う」といって、特に無理に勉強させるつもりはないことを仄かしているのを聞いたこともあります。(電車の運転手になるにしても、勉強をしておいた方がいいとは思うのですが)

僕自身としては、A(息子です)が、職業として何を選ぶのかということについては、特に具体的なイメージはまったくもっていません。大学の研究者は、自分がそうなので勧めないというのはありますが。ですが、息子の職業についてまったく考えないわけではありません。

僕が考えているのは、何になってほしいかではなく、どういう職業を選べるかということです。

どう違うのかと思われるかもしれませんが、この二つは大きな違いがあります。例えば、先程の「電車の運転手」という職業を考えてみましょう。僕が懸念するのは、電車の運転手という職業が、どういう収入で、どういう労働内容でとかではまったくないのです。それはどうでもよくて、むしろ、20年後、30年後に、電車の運転手という職業がどれくらいあるのかということなのです。

今のように、AIの技術、ITの技術などがどんどんと進んでいく中で、必要とされる人が非常に少なくなる業種は出てくると思います。

ニュースなどで、自動車や電車の自動運転に関する技術テストの話などを見ると、もしかしたら運転に関わる人の数は大きく減っていく可能性は高いと思います。(ここ数年という話ではないです。あくまでもAが仕事を選ぶとき、あるいは転職などを考えるとき、ですから、20年から40年くらい先の話ですが。)

僕のような大学教員だって例外ではありません。今のようなコロナ禍を経験して思ったのですが、少子化だけではなく、リモートで授業ができる可能性がぐっと広がったということは、教師としての大学教員も今よりもグッと少なくなる可能性があります。教師としてのというのは、例えば日本の多くの大学を支えている非常勤講師などです。非常勤講師の存在は今は、大学にとって必要不可欠です。また専任教員を目指す若い研究者にとってもなくてはならない職業です。でも、今後リモートでの技術・ノウハウが蓄積されていくと、そういう職も削減対象になってもおかしくありません。

職業がたんじゅんになくなる、とは言いませんが、少なくとも今の職業の分布とは変化していくでしょう。

そういう中で、どういう仕事が生き残り、Aの選択肢になりうるか、ということはやはり考えてしまうということです。

いずれにせよ、どういう職業につくのか(あるいはつかないのか)ということよりも、どういう状況になってもそこでやっていくことができる思考力をつけさせたいと思っています。


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車のない生活

我が家にはクルマがありません。理由は2つあります。一つは経済的な理由、もう一つは教育的な理由です。(どちらかと言えば経済的な理由の方が大きいのですが)

車がまったく買えないかといえば、まあ無理をすれば持てると思いますが、国立の大学教員で、家のローンを抱えている身分としては、車を維持することは割と厳しいです。そのお金は、息子のおもちゃだったり本だったり、外食だったり、そういったものに使ったほうがメリットがあると思っています。保育園とかも車送迎禁止だし、区役所、病院なんかもすべて近くにあるので自転車の方が便利です。

京都は道も狭く、うっかりと車で行くと止まるところなど逆にストレスを感じるシーンも多いです。

そのため、我が家では電動アシスト自転車が大活躍しています。

もうひとつの教育的な理由ですが、我が家は車がないためにAが小さい時から基本的に公共交通機関を使っています。やむを得ずというよりも、むしろそれがAにとっていい刺激になると考えていました。小さいときから電車やバスに乗ると街の空気や風、そういった様々なものを感じることができます。また、赤ちゃんが電車やバスに乗っていると、色んな人が話しかけてくれます。そういった多くの刺激をAは受けるのです。

車は便利なところもありますが、どうしても密閉空間になって、変化がありません。小さいときから、なるべく小さい子なりの仕方で社会の中に出ることはメリットがあったと思います。

よくならない場所に行ってもAは落ち着いていると周りの人に言われましたし、今も言われることが多いです。彼なりに、「新しいところに場慣れ」しているようです。昔の日本のように大家族ではない核家族にとっては、こういったことも、保育園通いと同じように、子供にとっていい面もあるのかもしれません。


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勉強が今好きでなくてもよい

前回、僕はAが勉強を嫌がるときに叱ってでもさせると書きました。僕の母親のように、そういうのを聞くと叱ってまでさせて勉強嫌いになったらどうするの、と心配する人もいると思います。

それに対する僕の答えは、別に今勉強が嫌いでも良いというものです。

重要なのは勉強が嫌いだとしてもさせ続けるということです。僕自身、子供のときに勉強が好きだったかというと別にそういうわけではありません。圧倒的に遊ぶ方が好きでした。ただ僕の場合、Aのように二歳の時から勉強していたわけではなく、まあ幼稚園くらいからだと思います。

「勉強しないと将来困る」

と言われてやっていたようなところがあります。何に困るのかもよくわかなかったですが、まあとりあえず好きでやっていたわけではありません。ですが、今は勉強が一番好きというわけではないですが、嫌いでもありません。どちらかというと好きな方です。(もちろん研究者ですから当たり前と言えば当たり前かもしれませんが)。

それほど好きでやっていたわけではない勉強も、大きくなってくると、問題を解けたときの面白さがわかってくる、あるいは自分が周りの友達よりもよくできたときに褒められるという経験をしていくうちに、勉強が好きになってきたという感じです。

僕が言いたいのは、つまりこういうことです。今勉強が好きではなくても、それが自分にとって武器だとか、長所だとか分かってくると、好きになってくるし、好きになってくることでさらに問題を解決すること自体にまた面白さがわかってくるということです。

もちろんはじめから勉強が大好きで、それがずっと続いて勉強し続けるというのはある意味理想的かもしれません。ですが、そうなるかどうかは子供の性格によるところも大きく、自分の子供がそうなるとは言えません。というか、どうもそういう子供はレアなような気もします。

あと今嫌がる勉強をさせなくても、好きなことをさせてあげれば良いという考えについてですが、それももちろん一つの考え方でいい考え方だと思います。ただしもしも子供に勉強ができるようになってほしいならば、そのやり方で、いつ勉強をさせることになるのでしょうか?いつか子供が自発的に勉強が好きになる可能性にかけますか?まあ好きなことをさせていたらいいかと思って、いつまでも勉強をしない、というか無理やり勉強させたりまったくしていなくても、勉強嫌いになった子をたくさん知っています

つまり、無理やりさせなければいずれ好きになるというわけでもないのです。

場合によれば、そうやって勉強していなくて、学校とかにいき出したときに、周りの子よりも自分ができないというのが理由で、ますます勉強が嫌いになる可能性ももちろんあります。

まあですから、好きであろうと好きでなかろうと、子供に勉強させるというのも一つの考え方なのです。


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「飽きる」ことは重要?

今日は、おもちゃについてちょっと書いてみたいと思います。子供にどんなおもちゃを与えようか、あるいはどういう仕方でおもちゃを与えるのかということは、親にとって一つの悩みだと思います。

そしてこれについても勉強などと同じように、一つの答えなんてないと思います。おそらく子供の性格や個性によってかなり違いがあるはずだからです。またおもちゃにかけることができる経済状況も家庭によってかなり異なると思います。

僕は、最初、厳選して面白そうなおもちゃ、あるいは知育になりそうなおもちゃを与えて、それをいつまでもAが遊んでいるということをイメージしていました。でもこのやり方はあまりAにはマッチしませんでした。Aはおもちゃを買ってもらうこと自体がまず一番好きで、それで買ってもらった後はしばらく遊んでいますが、飽きるのも早いです。

保育園や近所のお友達と遊びだすと、家ではあまり接することのないキャラクターについても学んできます。そうすると、「こういうのあるんやで」「こんなんいんねん」と言って教えてくれます。またYouTubeなどでいろんなおもちゃが紹介されているので、そこでもいろんなおもちゃの存在を学んでいきます。

せっかく買ったおもちゃがしばらくして見向きもされていないのを見ると、確かに寂しい気持ちになります。ですが、この「飽きる」ということはとても重要なのではないかと思っています。

というのも、飽きて別のものに興味を持つということがおきるからこそ、子供は積極的に新しいものと接し、新しい刺激を受けていきます。新しいおもちゃに興味を持ち、それであそび、だいたいどんなものかわかれば次のものに興味を持つ、そうして子供は新しい刺激を持ち、新しい知識を持ち、新しい発想を身につけていきます。

だから僕は、割り切って、子供がおもちゃに飽きて次のものを欲しがるとき、それが経済的に可能な範囲であれば、割と積極的に与えることにしました。Aが最初興味を持っていたもの「a」に飽きて、「b」を欲しがるとbを与えてみる。Aはしばらくまた「b」で遊んでまた飽きる。ですが、たんに「a」と「b」という二つのおもちゃがあるというわけではありません。というのも、新しく「b」がくることによって、 「a+b」という新しい遊び方ができるからです。

そういうわけで、我が家にはかなりのおもちゃがあると思います。あと僕が心がけているのは、Aに買い与えるおもちゃについて、僕自身もかなり調べて、Aと同じくらい詳しくなるということです。例えば、Aがウルトラマンに興味を持ちだして、ウルトラマンのソフビを欲しがるときには、僕もウルトラマンについてかなり調べたり、みたりして詳しくなります(といってももともと子供ときに、僕はウルトラマンが大好きでした)。子供は、気に入ったものに対して飽きるのが早くても、その短い間で、わりとマニアックにいろいろと覚える傾向にあります。それにまけずに、自分もマニアックになるということです。

このメリットは、子供と一緒に遊ぶのがうまくなり、子供と知識を知識や関心を共有でき、おもちゃを買うことについて自分も楽しめる(笑)ということです。ちなみに子供にも尊敬されます。

一つ一つのおもちゃには飽きがきても、こうしておもちゃが増えてくると、Aはおもちゃ博士のように、いろいろとおもちゃに詳しくなります。トータルでは、なかなかマニアックな領域ができるのです。しかもおもちゃの世界は、さらなる発展が見込めます。恐竜のおもちゃから恐竜に、忍者のおもちゃから歴史に、魔法のおもちゃから文学に。

だから飽きるということは、(僕の考えでは)とても重要なのです。


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