保育園ありきのプラン
いまだに、保育園は、仕事などで止むを得ず子供を預けるところ、と考えている人が多いように思います。また社会制度もそのようなイメージで設計されているかと思います。そのために、保育園に預けるハードルがただく、預けたくてもなかなか思うように預けることができない現状があります。
ですが、僕自身はこの考えは改めるべきだと思います。保育園は、少なくとも幼稚園と同じように、選択的教育の場として捉え直すべきだと思っています。
僕の同僚でも、発達心理の専門家や社会政策の専門家などがいますが、共働きということももちろんあるのですが、みな保育園に子供を預けています。ぼくは昔、発達心理の専門家に、なんで自分で育てへんのや、と聞いたことがあります。すると、預ける方がいいから、という実にシンプルな答えでした。そのときは、それ以上深く聞かなかったのですが、今改めて自分の子供の教育について考えると、基本的には保育園に預ける方がいいと思いました。
その理由は、子供の社会性の発達と刺激ある環境という二つです。親がほとんどの時間を子供と過ごす場合、この二つを満たすことはなかなか大変です。どうしても比較的単調なループに陥りがちです。僕もAが生後一ヶ月経った頃から、二人で半日過ごすことがときどきありましたが、その半日を全力で相手するのは無理です。1日やそこらならまだしも、それが数日続くとなると、考えただけでも気が滅入ります。(専業主婦で、ワンオペ育児をしている人は、本当に大変だろうなと思います)。もちろん、そんな社会性や刺激なんて小さいうちは必要ないという考え方もあると思います。それは間違ってはいないと思います。また、場合によっては、世帯人数が多かったり、近所に同じ年くらいの子供が山のようにいて、なんかいつも道端で遊んだり、といった仕方で、保育園に行かなくてもそういった刺激を与えられる環境もあると思います。ですが、我が家の場合はそうではありません。そして、必要か必要ないかというのは、目的にたいして決まるものです。僕はわりとどんどんと教育を勧めていくというプランでやっているので、今の我が家の環境において、その目的にとっては、保育園に行って刺激を与えることは必要なのです。
子供成長を待たない
僕の考えでは(僕は教育学の専門家ではありません)、子供の成長をただ待つというのは、あまり良くないと思っています。動物は、環境に対して非常に柔軟に変化する生き物なので、人間も、たんにその成長を待つのではなく、成長を引き出すために刺激を与えることが必要だと思っています。そのためには、家とは違う環境、たくさん人のいる環境、そういうところにAを送り出すことが、彼の成長を促すと考えたのです。そのため、保育園は、我が家にとって、経済的に必要な選択肢ではなく、教育的に必要な選択肢だったのです。
ですが、誰でも保育園に行けるわけではありません。我が家では、Aを保育園に行かせるために、妻にフルタイムで働いてもらうことになりました。久しぶりの労働ということもあって、最初はめんどくさがっていた妻を説得し、ハローワークに行ってもらい、仕事を見つけてきてもらいました。(ちなみに、妻の自由になるお金が増えたので、妻は今では働いて良かったと言っています。)ハローワークで仕事を探しているあいだ、また勤め先が決まっても正式に4月までは、一時保育でしのぎました。
おかげで無事に一歳一ヶ月のとき(2019年の4月から)息子は、正式に保育園にいくことができました。
また別のページで書きますが、保育園に行った効果は出ていると思います。
しかし、保育料の高さにはやや辟易しています。我が家全体の収入は、妻がフルタイムで働いても、基本的にはパートなので、保育料を払うとほとんど増えません。
普通の幼稚園のように、家庭と園の契約という形にして、誰でも(場合によっては共働きではなくても)保育園に行けるような社会にするべきです。保育園に行かせなければならないと言っているのではありません。希望したら誰でも行けるようにするべきです。保育園は、たんなる保育の場ではなく、一種の教育の場なのです。

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