僕の考えでは、子供の教育は子供が生まれたときから始まっています。「教育」じゃなくて、「養育」ではないか、と思われるかもしれません。でも「教育」なのです。養育ならば、わざわざいう必要なんかないのです。といっても、昔はやった胎教とか、そんなんではないです。
子供との絆をつくる
教育には、本当は父親も母親もありませんし、育児についても同じだというのが僕の基本的な考えです。父親が働いて母親が家にいるという家の概念は、もう過去の遺物であると考えています。両親共働きがますます一般的になると思いますし、また父親が家にいて母親が働きに出るというパターンがあってもまったく問題はありません。
重要なのは、ある程度先のことを見越しつつ、父親も母親も積極的に教育について考えていくということです。
先ほど父親も母親も関係ないとかきましたが、やはり例外はあります。もちろん出産自体は、母親しかできませんし、出産後は母親はあまり身動きは取れません。また母乳で育てる時には、父親は残念ながら母乳は出ません。
ですが、こういう違いはありますが、どちらが子供の教育にとって優位か・しやすいか、というメリット・デメリットになるような違いはありません。
例えば、僕の場合、もちろん僕から母乳を出すことはできませんが、それによって逆にAと絆を深めることができました。どういうことかといえば、子供がある程度大きくなるまでは、夜、数時間ごとに泣いて起きるということはよくあります。そのとき、母乳をあげても、おしめを変えても泣き止まないということもよくあります。ようするに、なんで泣いているのかがわからないということが起きるのです。そういうときに、妻は、よく母乳が足らないのかと思ってさらに乳を飲まそうとして、それによって泣き止まそうとしました。しかし、それでも泣きやまない。まさにそういうときこそ、父親のチャンスなのです。僕ら父親は、母乳でなきやますことはできません。できる武器は、抱っこ!しかないのです。
しかも、僕の妻は、夜一度寝たらなかなか起きないタイプです。Aが泣き出しても、しばらくしないと目覚めません。一方、僕は眠りが浅く、すぐに目が覚めます。だから、僕の方がAが泣いていることに気づくことも早かったのです。僕は目覚めると、Aを抱き上げて、リビングのある一階におります。そこで、ひたすらAが泣き止むまで抱っこするのです。
妻が家事をしている時も、Aが泣くとすぐに抱っこ。おむつがえ、抱っこ、として妻が寝ているときは粉ミルクというふうに、抱っこを中心にスキンシップをとりまくりました。おそらく、抱っこについていえば、妻よりも僕の方がトータルの時間は長かったと思います。
また産後、妻が出かけることができるようになると、妻が外出したいという時には、積極的にそれを勧めました。そのおかげで、生後一ヶ月くらいから、半日くらいAと一緒にすごすという機会は、わりと頻繁に訪れました。不安に思う必要も、おろおろする必要もありません。半日くらい、多少失敗しても、そばにいてちゃんとみてさえいれば、あるいは抱っこさえしていれば、なんとでもなるのです。そしてそれは、子供と絆をつくることができるまたとないチャンスなのです。
また別の機会に書きますが、そのおかげか、息子は、すっかりパパっこになりました。重要なのは、僕と息子の間に、強い絆ができるということなのです。(息子が、すごいパパっこだとわかったころ、妻は、「抱っこをさぼりすぎた」と言っていました(笑)
大きくなって、いろいろ教育実験をするために、一番重要なのは、実験者と実験対象の信頼関係です。僕が、Aにああしろ、こうしろといっても、Aが「パパはいや」「パパのいうことやりたくない」と拒否されてしまうと、非常にめんどくさいことになってしまいます。中には、お母さんが中心になって勉強を教える、教育を施す、という家庭もあるかと思います。もちろん誰がイニシアティブをとろうとそれはいいのですが、一人ですべてするのはとても難しいです。ですから、たとえお母さんが中心になって子供の教育を行うんだと思っている家でも、父親がいつでもサポートしたり、交代できるように、父親と子供の強い絆をつくっておくことにこしたことはありません。
我が家は、僕がAの教育についてはプランニングし、基本的には実行しています。ですから、僕の戦略としては、Aと深い絆を作ることは、必要不可欠なことだったのです。
ですからこれは、たんに子育て、養育ということではありません。
その後のより本格的な教育実験のための布石なのです。
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